
岡田茂吉はボンクラ - 被害者同盟
2026/05/24 (Sun) 09:18:03
岡田茂吉の教えは、結果として膨大な数の被害者を生み出した。
その意味で、彼の思想は誤りであり、社会的に見ても大きな問題を抱えていると言わざるを得ない。
医療拒否、霊的因果論、自然農法の万能視──
こうした非科学的な教えが長年にわたり信者を縛り、
何百万人、あるいはそれ以上の人々が不利益や苦しみを受けてきた。
にもかかわらず、今なお妄信を続ける人々のHP、ブログや掲示板の書き込みを見ると、
現実から乖離した内容が多く、
そのこと自体が“教えの危険性”を証明している。
Re: 岡田茂吉はボンクラ - 茂吉はパクリ
2026/05/24 (Sun) 12:39:52
イエス・キリストによる「手当(按手)」の記述
イエスが病人に手を触れて癒やしたエピソードは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの「四福音書」に何度も登場します。重い皮膚病の人を癒やす(マタイによる福音書 8章3節)イエスは「手を差し伸べて彼に触れ、」「きよくなれ」と言われた。すると、瞬く間にその皮膚病はきよくなった。夕暮れ時の大量の癒やし(ルカによる福音書 4章40節)日が暮れると、人々は様々な病気に悩む者をみな、イエスのところに連れて来た。イエスは「一人ひとりに手を置いて」、彼らを癒やされた。故郷での癒やし(マルコによる福音書 6章5節)イエスはそこでは奇跡を行うことができず、ただ「少数の病人に手を置いて」癒やされただけであった。言葉だけで病気を治すこともできたイエスですが、あえて「相手に直接触れる(手を当てる)」ことで、病の苦しみだけでなく、患者の孤独や心の傷をも癒やしたと解釈されています。
弟子(使徒)たちへの継承
イエスは自分だけでなく、弟子たちにも「手を使って人々を癒やす権能」を授け、広めるよう命じました。マルコによる福音書 16章18節(大宣教命令)イエスが復活した後に弟子たちに語った言葉の中に、「病人に手を置けば、その人たちは治る」という約束が記されています。使徒言行録 28章8節(パウロの奇跡)使徒パウロがマルタ島に漂着した際、現地の首長の父親が熱病と下痢で苦しんでいました。パウロは彼のところに行って祈り、「手を置いて」癒やしました。
Re: 岡田茂吉はボンクラ - 茂吉はパクリ
2026/05/24 (Sun) 12:56:55
臼井霊気療法
手をかざす、または直接相手の体に手を置いて、生命エネルギー「レイキ」を流し込むという考え方・実践である
1. 1922年の鞍馬山での神秘体験
臼井氏が21日間の断食修行の果てに、「脳天を貫く衝撃」とともに宇宙のエネルギーと一体化し、癒やしの力を得たというプロセスは、国内外すべてのレイキの根底にある歴史的事実(伝承)です。この体験が「臼井式レイキ」のすべての出発点となりました。
2. 海外(西洋)での意味付けの追加
記述の後半にある「海外では、この体験がブッダとイエスの癒しの業の秘密を解く鍵であり〜」という部分こそが、まさに前々回の対話で触れた「キリスト教的・宗教的なカモフラージュ(文脈の追加)」の証拠そのものです。日本での認識:東洋の「安心立命(悟りの境地)」や「気」の体得。海外での認識:聖書(新約聖書)に書かれている「イエスの手当ての奇跡」の謎を解き明かす鍵。海外へ普及させる際、この鞍馬山での体験を「聖書や仏典の謎が解けた瞬間」として説明したことで、欧米のキリスト教徒文化にスムーズに受け入れられました。
3. 年代に見る「岡田茂吉氏」との交差
臼井氏が鞍馬山でレイキを体得したのが1922年(大正11年)であり、彼が亡くなったのが1926年(大正15年/昭和元年)です。岡田茂吉氏が「岡田式神霊指圧療法」を始めるのが1934年(昭和9年)ですから、臼井氏が亡くなったすぐ後の時代に、岡田氏が指圧からスタートして独自の「手かざし(浄霊)」へと向かっていったことになります。
Re: 岡田茂吉はボンクラ - 茂吉はパクリ
2026/05/24 (Sun) 13:24:42
自然農法
人類が化学肥料を開発したのは20世紀初頭であり、それ以前の何千年間、人類は堆肥や糞尿、あるいは「何もしない無肥料」で栽培を行っていました。
「近代農業への対抗軸として理論的に体系化(言語化・書籍化)し、現代に通用する独自の農法として論文や著作の形に落とし込んだこと」を最初に「体系的な農法理論」として世に出したのはどちらかというと、福岡正信氏のほうが先になります。
具体的なエビデンス(著作・論文の発表年)は以下の通りです。
福岡正信氏:1947年(昭和22年)に最初の体系化
福岡氏は、単に「肥料をやらない」という経験則を超え、「なぜ耕さないのか」「なぜ肥料や農薬が必要なくなるのか」を生態学や科学の視点から体系化しました。1947年(昭和22年):最初の著作『無神の革命(自然農法)』を出版。ここで「不耕起・無肥料・無農薬・無除草」の四無主義を論理的に体系化して世に問いました。1975年(昭和50年):世界的なベストセラーとなる『わら一本の革命』を出版。「米麦連続不耕起直播」という、科学的にも極めて精緻に計算された独自の栽培サイクル(クローバーや粘土団子を用いた技術体系)を完全な論文・解説書の形で発表しました。
岡田茂吉氏:1948年〜1950年に体系化
岡田氏も実践を重ねていましたが、それを「農業理論(論文・解説書)」として独立した文章にまとめたのは戦後になってからです。1948年(昭和23年):論説『無肥料栽培』を発表。1950年(昭和25年):理論の集大成となる論文『無肥料栽培法大要』を発表。ここで初めて「土本来の性能を発揮させる」という原理を体系化しました。
Re: 岡田茂吉はボンクラ - 陰陽 URL
2026/05/31 (Sun) 22:45:07
日本観音教団管長
日本五六七教管長 歴任
渋井総三郎(教祖改名:総斎) 洋服商 52才 埼玉県村君村出身
昭和13年 春 入信
洋服商で成功し、アジア各地や欧州に視察旅行にいくほど、
事業に成功して余裕があった。
教祖の講話を聴いて洗脳された渋井は、
新宿区内の持ち家5軒の内の2軒、1000坪の別荘、杉並区内の貸家十数軒を売却して
教祖に献金した。
新宿の自宅を改造し、一階が洋服屋、二階が住居、三階が治療所として専従になった。
大勢の信者を集めたが、
教祖は
「こんなに大勢の人を、渋井はどのようにして治療するのかな。これは渋井でなければ
できない芸当だ。」と評している。
ID:7TKBtFIm(1/3)
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0632 神も仏も名無しさん 2020/06/30(火) 18:05:17.05
信者でごった返す店舗併用住宅は日曜祭日も稼働し、朝から晩まで休みも取らず食事すらろくにとらないで
夏場は汗だくになり、冬は極寒の中、浄霊し続ける日々が続いた。
昭和17年警察は薬事法違反、不経済などで渋いを検挙した。
教祖のためなら獄死をしてもいいというほどに洗脳されていた。
渋井は正座させられ膝に重し石を置かれるなどの拷問わ受け、殺人犯並みの独房で住居し、
前身がシラミだらけになり、おまけに後頭部の下側、首の後ろに大きな水疱ができ、
膿がたまっていた。
この状態で教祖は
「いくら渋井でも、拷問には勝てないだろう。」と発言している。
ID:7TKBtFIm(2/3)
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0633 神も仏も名無しさん 2020/06/30(火) 18:41:40.88
渋井は、明治19年生まれだが、旧制中学を卒業している。
浄霊の効果も優秀で、信者から頼られていたようだ。
先達書 p.134〜
120才まで生きると虚言していた教祖が72才で早逝してから三か月後、
渋井は三度も脳溢血で死にぞこなったが、浄霊に頼るも虚しく、
四度目の脳溢血の発作が彼を襲い、「十万億度の旅に出る。」と意味不明な言葉を発しながら、
寿命を真っ当できずに、70才で病死した。
先達書 p.461〜
蛇神信仰者の末路として、お手本となるような、見事な惨死だった。
ID:7TKBtFIm(3/3)
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0634 神も仏も名無しさん 2020/07/02(木) 00:12:27.84
なんやようわからんか頑張ってくれw
ID:h+7jYySi
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0635 神も仏も名無しさん 2020/07/02(木) 10:59:37.83
岡田茂吉を信じ、
全生涯をかけた人達の運命とその悲惨な人生の終焉を
晒しています。
自分の所属している支部の信者達を見ても
似たような悪運で下降していく人生になっている。
こういう人達がほとんどなんだろうが、表には出てこない。
ID:TWaM4xEI(1/2)
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0636 神も仏も名無しさん 2020/07/02(木) 11:32:17.14
633
教祖にほだされた渋井総三郎は財産を教祖に奪われ
サド茂吉の舎弟として富裕層であり、悠々自適の生活から、
一転、貧乏な丁稚奉公の小僧となり、サド茂吉の奴隷になった。
そして、刑務所で自らが死後受ける罪過を生前体験し、
頭破七分して脳内出血の連鎖に陥り、発狂寸前で教祖の赴いた地獄界
の蛇神の元へと召された。
渋井は信者なら誰もが知る初期専従者である。
この哀れな悪運に取り憑かれた半生は信者が離れていく大きな原因となり、
教祖の頓死と共に信者の激減に繋がった。
先達書のp.461に
こんなことが書かれている。
渋井の長女である渋井玉子はその父の惨死の後に、吉夢を見たということである。
「父が元気な若々しい姿で、なんとも言えない宏壮善美な邸宅に住み、喜びに満ちていた。」
ということだが、
これも苦笑せざるを得ない。
以前、天国の天人化の説明の部分と同じであり、教祖が治療した肺病の娘がその後、死んだ
が天人になり、十二単衣を着て現れたという作話と同じであって、
教団による事実を直視させないためのエセ小話に過ぎない。
ID:TWaM4xEI(2/2)
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0637 神も仏も名無しさん 2020/07/02(木) 15:31:47.85
まー、浄霊で治ると言いながら
治らず亡くなったら今度は「浄霊で霊が清まったから
天国に行きますよ」と言うのも
ふざけた話だな
ID:Q0UAWCtJ
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0638 神も仏も名無しさん 2020/07/03(金) 10:28:47.55
聖観世音菩薩から万病を癒す不思議な霊力を授かったというのが、
岡田式心霊療法の宣伝文句でした。これが警察に目を付けられる誇大宣伝広告として
詐欺的要因としてあげられる。浄霊で霊が清まれば全身の病がことごとく癒えるという理論で
すから、治らないで死んだ人達が天国になど往かれるわけがないのです。
上の渋井総三郎の話しにしても、教祖の出鱈目な理論を盲信したがための悲惨な結果であり、
長女が夢で見た光景が霊夢であると思わせる記述になっているが、死後間もない人が霊界で
そういった姿になるということは有り得ないことである。
もし夢で見たのなら、教祖と出会う前の豊かだった渋井家の最も幸せだったころのことを思い出し
て夢に見たのでしょう。長女であれば、大きな立派な別荘で過ごしたお父さんとの思い出が
懐かしく思われ、走馬灯のように想起されたに違いありません。
楽しかった幸福だった家族との日々を、現実に無残な死に方をした父親を目の前にして
また葬儀と火葬を経て、深く思い起こしたということだと思います。